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日本人が持つ自国への誇り ーーージェームズ・C・アベグレン「新・日本の経営」を読んで

 「新・日本の経営」ジェームズ・C・アベグレン著 日本経済新聞社刊 2004年 ーーーーーー  とても面白い本である。この本は2004年に刊行された本である。新しい本ではない。実は長い間、私の研究室の本棚に眠っていた。現役の教員を引退してようやく余裕が出たので、読んだのだが、読むほどに面白くなってきた。2004年から既に17年の歳月が経っているのだが、この本の中身は少しも古く感じない。もちろん日本経済も世界の経済も大きく変わっているのだが、この本のなかにおける著者の慧眼は現代においても少しも輝きを失わない物がある。  まずこの本で著者は、日本人自信が日本をなぜ否定的に捉えるのかという疑問を呈する。著者にとって日本の問題は日本人自身が自分の国にそれほどの誇りを持っていないことである。(P16)「この自信のなさ、特に若者の無気力だともいえる。」「日本人が自国を否定的に見るわけがどこにあるにせよ、もっと肯定的な見方を示し、それによって日本の実情をもっと正確に描いて政策を決定していけば、誰にとっても利益になるだろう。」我々が自信をもっと持つべきだとは私自身、長い間の国際経験でそう思っている。我々は自分の国が成し遂げてきたことに大いに自信を持つべきだと思う。  ただ、同時にグローバリゼーションはこの本が書かれた当時よりもますます進展しており、この本で述べられていた日本の強さもまた変わっていかなければならないことも確かであり、 この本のなかで指摘されている問題は今の問題でもある。  一つの例を挙げよう。この本の第7章は「企業統治」についてである。この本では日本の強さの源泉として「共同体としての企業」が挙げられている。日本企業の強さはこの伝統に基づき、家族的な経営をしてきたことにある。実は米国でも成功している企業の多くが家族的経営であると書かれている。一方で、最近は多くの企業で企業統治のあり方が問題とされており、外部からの取締役の選任が求められており、多くの企業では外部からの取締役が選任されている。  ところが、この著者によると、米国の企業統治は失敗であったと明確に述べている。多くの米国の大企業では企業経営者が仲良しを外部取締役に選任し、まったくのところ統制が効かない。そしてストックオプションや、自己株式の買付で見かけ上の株価を上げているが、実際には見かけ上の利益を上げるだけだと

大学でのコロナ・ワクチン接種

  私が監事を努めている京都橘大学がワクチン接種を検討中と報道されていたが、ホームページに正式な文書が掲示されている。日付はまだ固まっていないが、おそらく近日中には発表になるだろう。大変に素晴らしい取り組みだ。頑張ってほしい。近畿大学は21日からワクチンの集団接種をキャンパスで始めるという。素晴らしいニュースだ。 https://www.tachibana-u.ac.jp/0257647792f0864fb39d02575bad21ed282a4516.pdf  多くの学生にも打ってもらいたい。先日、ここにも掲載しておいたが、米国のイェール大学などの学長の話としてワクチン接種について学生の理解を得て接種に応じてもらうことが課題と話していた。米国では様々な宗教や文化的な背景があり、ワクチン接種も一筋縄では行かない。それに比べれば日本の宗教色は強くないが、日本でも若い世代のワクチン接種への不安感が高いようだ。コロナに感染したときのリスクはワクチンの副反応のリスクよりも遥かに高い。ぜひそれを理解してワクチン接種に応じてもらいたいものだ。

水たまりの遊び 雨の日に想う

  今日は午後3時頃まで雨の予報が出ている。雨の音も悪くない。  小学生の時に雨だれの音を詩に書いたことがある。学校の文集に載せてもらった。もう詩は忘れたが、雨だれの音をリフレインしていた。東京の芝公園にあった国鉄官舎の応接室の窓枠にもたれながら思いついた詩だった。その窓枠の景色と水たまりの様子は今も目の前に浮かぶ。  そういえば最近はどこも舗装されており、水たまりも減ったようだ。子供にとって水たまりでの遊びは最高の経験だと思う。先日の京都橘学園の評議員会で、こども園の園長さんの報告に子供たちを雨のなかで泥遊びをさせるという試みが出ていた。素晴らしいことだと思う。

ボルカー回顧録を読み終えて、「マネージメント次第」という言葉

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 ボルカーの自伝を読み終えた。ボルカーは1978年から1987年まで米国の中央銀行FRBの議長出会った人だ。半ばまでは彼がFRBの議長であった時代のインフレや通貨危機への対応である。私には懐かしい話ではあったが、むしろ後半の方がより面白かった。ボルカーがFRBを退任後、どのような仕事をしたのが、実に興味あふれる記述が多い。たとえばスイスの銀行によるナチスの迫害によるユダヤ人資産の再調査などで彼がチェアマンとなって仕切ったことなどは私はまったく知らなかった。ボルカールールについての動きは当然、現在の国際金融をかんがえるときには忘れられないことだ。  彼がトレーダーについて以下の記述をしている。自分の30代のときの思い出が蘇ってきた。「トレーダーとは、どのみち許される限界に挑戦してみたくなる者たちだと思っている。」私 自分もニューヨークやフランクフルトで証券のトレードをやっているときに法律の限界に挑戦していたことがあったのを思い出す。ロンドンの証券取引所のドイツ国債の先物の3分の1を自分が取引したこともあった。  そんな思い出は別にして、大学運営に関与した自分には彼の以下の言葉がもっとも印象に残った。 「政策だけでは、たとえそれがどれほど鮮やかに構想されていようとも、目的は果たせない。行政上のマネージメントが的確でなければ、その政策は素晴らしい結果を出せない。要するに政策はマネージメント次第だということである。」(ボルカー回顧録、P352, 日本経済新聞社、2019年)  大学においても最後はマネージメントの重要性が問題となる。