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水たまりの遊び 雨の日に想う

  今日は午後3時頃まで雨の予報が出ている。雨の音も悪くない。  小学生の時に雨だれの音を詩に書いたことがある。学校の文集に載せてもらった。もう詩は忘れたが、雨だれの音をリフレインしていた。東京の芝公園にあった国鉄官舎の応接室の窓枠にもたれながら思いついた詩だった。その窓枠の景色と水たまりの様子は今も目の前に浮かぶ。  そういえば最近はどこも舗装されており、水たまりも減ったようだ。子供にとって水たまりでの遊びは最高の経験だと思う。先日の京都橘学園の評議員会で、こども園の園長さんの報告に子供たちを雨のなかで泥遊びをさせるという試みが出ていた。素晴らしいことだと思う。

ボルカー回顧録を読み終えて、「マネージメント次第」という言葉

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 ボルカーの自伝を読み終えた。ボルカーは1978年から1987年まで米国の中央銀行FRBの議長出会った人だ。半ばまでは彼がFRBの議長であった時代のインフレや通貨危機への対応である。私には懐かしい話ではあったが、むしろ後半の方がより面白かった。ボルカーがFRBを退任後、どのような仕事をしたのが、実に興味あふれる記述が多い。たとえばスイスの銀行によるナチスの迫害によるユダヤ人資産の再調査などで彼がチェアマンとなって仕切ったことなどは私はまったく知らなかった。ボルカールールについての動きは当然、現在の国際金融をかんがえるときには忘れられないことだ。  彼がトレーダーについて以下の記述をしている。自分の30代のときの思い出が蘇ってきた。「トレーダーとは、どのみち許される限界に挑戦してみたくなる者たちだと思っている。」私 自分もニューヨークやフランクフルトで証券のトレードをやっているときに法律の限界に挑戦していたことがあったのを思い出す。ロンドンの証券取引所のドイツ国債の先物の3分の1を自分が取引したこともあった。  そんな思い出は別にして、大学運営に関与した自分には彼の以下の言葉がもっとも印象に残った。 「政策だけでは、たとえそれがどれほど鮮やかに構想されていようとも、目的は果たせない。行政上のマネージメントが的確でなければ、その政策は素晴らしい結果を出せない。要するに政策はマネージメント次第だということである。」(ボルカー回顧録、P352, 日本経済新聞社、2019年)  大学においても最後はマネージメントの重要性が問題となる。