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ミナミの地価 長期投資家の視点

 「ミナミの地価 長期投資家の視点」  3月25日の日本経済新聞関西版に「ミナミ、実勢は高水準維持? 大型取引成立、コロナ後織り込む 反転期待し駆け引き」という記事が出ている。  同じ日本経済新聞の3月24日の全国版の朝刊ではまったく逆の報道があった。 大阪のミナミはインバウンドの観光客のメッカのような場所だったので、一昨年までは地価が上がっていたが、コロナ禍でインバウンド需要が一気になくなったことから、ミナミの地価は全国の商業地でも一番大きな28%という下落となったと報じられていた。 その翌日の関西版の記事はまったく違う内容が伝えられた訳だ。その記事によれば昨年28%という地価下落を記録したミナミの「づぼらや跡地」の直ぐそばの土地で、公示価格の二倍に近い価格で不動産取引が昨年の夏に行われていたというものだ。 この大きな落差は何処から来ているのか、日経の記事を引用してみよう。 「この差は直近の家賃相場と、国内外の投資家が思い描くミナミの5~10年後の姿への期待との違いによるものだ。ミナミの商業地は「コロナ後には国内の観光客、次いで訪日客と必ずにぎわいが戻り、優良な出店先として人気も回復する」と不動産サービス大手のジョーンズラングラサール(JLL)の山口武リサーチディレクターは話す。世界的なカネ余りを背景に、不動産売却で資金を確保しようという動きも鈍く、ミナミの将来像を巡る駆け引きの中で実際の土地取引の価格は高水準で推移しているもようだ。」(日経3月25日)  投資家というものはすごいものだと思う。コロナ禍のなかで世界中の消費が落ち込んでいるが、一方で貯蓄も膨らんでいる。観光というのは人間の本能的な営みの一つだと私は信じている。数年の間に訪日客が戻ることは間違いない。本当の投資家というものは長い目での投資をするものである。大学人もあまり短期でものを見ず、長い目で学生のキャリアを考えてアドバイスが必要だろう。「言うは易く行うは難し」だが。いずれにしても大阪万博が大いに楽しみである。

SDGsと大学運営  ー Nature編集者と若手研究者の対話を聞いて

  昨日はKURAの主催のSpringer Natureの編集者と京都大学の若手研究者のウェビナー座談会を聞いていた。「京大若手研究者x Springer Nature編集長:座談会「学問の挑戦と機会:若手研究者とSDGsを超えた先の未来を見据えて」という長い名前の座談会だった。 https://www.kura.kyoto-u.ac.jp/event/20210324-2/  まずNature編集者のPhilip Cambell博士から、SpringerがどのようにSDGsのサポートをしているか、SDGsに関わる論文をいかに世界に発信できるか、などの説明のあと、4人の内外の若手研究者が自分の研究内容とSDGsへの貢献可能性を話し、さらに、座談会のなかで、研究が社会にどのようなインパクを与えうるのか、ローカルな研究が評価されるのか、異分野の研究とのデータ共有は可能か、などについて編集者と若手研究者の間での極めて興味ある対話が続いた。  私も開発経済学を講義していたこともあり、SDGs以前の目標であったMDGsの研究はしていたし、SDGsが2015年に国連総会で合意を得たときまではよくフォローしていたが、この数年はベトナムや日本を動き回っていたので、十分にフォロー出来ていなかった。その間に世界ではSDGsが大きな広がりを見せていた。  2015年にSDGsを初めてみたときは正直、あまりに目標項目が多く広範で、本当にこれが目標と言えるのか、という印象があったので、十分なフォローもしていなかった。ただこの3年ほどキャリア開発研究という科目で、学生と一緒に多くの会社の営業報告書やCSR報告書を読む中で、SDGsに触れられていることが多いことを知って、SDGsを改めて勉強し始めていたところだ。  日本語では以下のような本を最近は読んでいる。 ・蟹江憲史「SDGs」中公新書 ・笹谷秀光「SDGs経営」日本経済新聞出版社  蟹江氏の本はSDGsそのものの成り立ちなどがよく描かれている。私もSDGsができた当時、目的があまりに拡がりすぎておりなぜだろうかと思っていたが、蟹江氏の本でその意味が分かってきた。彼の本の一節を引いてみよう。 「本書を通じて繰り返し述べてきたのは、SDGsは達成へ向けたルールがなく、到達点が示されているという点である。・・」(同書241ページ) 従って、それ

JASSO 留学経験者セミナー、海外留学は当たり前の選択肢になった

今日は JASSO の海外留学のオンラインの 2020 年度海外留学オンライン説明会(留学経験者セミナー)があったので、視聴させていただいた。大変に面白いセミナーだった。  今回の三人の学生のうち、二人の学生は高校までに海外での学習経験があるが、一人の学生は国内のみの教育を受けていた。その学生たちがどうやって高校卒業後に海外留学に至ったのか、進路選択の方法、情報の集め方、学費、親御さんの説得、コロナ禍でのオンライン授業など、非常に面白く進められていた。 三人の留学先は、米国、オランダ、マレーシアである。米国・オランダの学生はリベラルアーツカレッジ、マレーシアの学生はビジネス学部である。学年はそれぞれに分からないが、2年ぐらいは現地で生活しているのであろう。その話しぶりは自信と満足感に溢れていた。海外留学が彼らに大きな成長の機会を与えたことが分かる。 学生のひとりは、東京の日比谷高校を卒業して、直接海外留学してアメリカのリベラルアーツカレッジに留学している。日比谷高校は私の母校でもあるが、高校での会合で、最近は優秀な学生が海外大学に行くようになったと数年前にも聞いたことがある。私の若い頃は留学と言っても極めて特別なことだったが、今の若い人には一つの選択肢として当たり前の現実的なものになったと改めて感じた。  日本の大学にとっては学生の国際体験を真剣に考え、その機会を提供することが競争力の源泉になると改めて感じる。私自身がドイツのミュンスター大学で学んだときは既に26歳になっていたが、そのときに感じた新鮮な驚きや喜びが改めて思い出された。私の子どもたちも国内の大学で学んだが、ふたりとも海外大学に交換留学で留学しており、ふたりとも行って良かったと話している。多くの学生にはぜひ短期、長期の留学を試みてほしいし、大学はその機会を提供することが生き残りの条件になると考えねばならないだろう。              

東日本大震災の記憶

 2011年3月11日は今も鮮明に覚えている。11日は金曜日だった。私はバンコックにいた。APRU(環太平洋大学連合)のシニア・スタッフ・ミーティングがチュラロンコン大学で開催されており、その日は最終日で午前中にウィンマンメーク宮殿を見に行くプログラムが用意されていた。宮殿からの帰りにホテルに戻るとなにか、日本で大変なことが起こっていると誰かが話している。私の飛行機は深夜に出るので、ホテルの部屋はレイトチェックアウトにしてあった。部屋に戻るとテレビで日本で大きな地震があったとのニュースが流れている。ロビーには、すでに成田行の飛行機に乗られているはずの東北大学からの3名の方もおられて、昼の飛行機を取っていたが、キャンセルになったという。チェックアウトされて部屋もないとのことで、私の部屋を使ってもらった。あとで聞いたことだが、何とか、翌週日本までは帰ったものの、東京から仙台に行くことが出来なかったとのことだ。  私と言えば、携帯電話で京都大学の国際交流センターの課長補佐のMさんに電話をして善後策を話合った。まずは留学生の安全確認がもっとも大事な仕事である。国際交流センターが所管する留学生の安全確認をお願いし、各部局に属する留学生の確認は各部局で行うことにした。幸いなことに確認は順調に進んで翌週の初めにはほぼ確認をおえていた。  被害にあった留学生はいなかったが、残念なことに、全学では日本人学生3名が仙台空港で津波に巻き込まれ亡くなっていた。レンタカーを律儀に返しに行って大事な命を失うことになってしまったという。  私の飛行機は関空向けだったので、キャンセルにならなかった。ただ飛行機を待つのロビーのテレビは東北の津波の様子を伝えていた。まるでハリウッドのSF映画のような画面が現実とは思えなかった。                  

京都四条の厳しい現実 客のいないレストラン

  MIEXオフィスで「市場化時代の大学経営分析」の第二章、キャッシュフローの部分を読んでいるのだが、昨日、ハーフマラソンの距離を走った疲れが出ているのだろう、眠くなって半分寝ながら字面を追っていた。とても面白いのだが、疲れには勝てない。  お昼のお弁当を買いに外に出たが、レストランが恐ろしいほどに空いている。新しく建った京都経済センターの一階には小綺麗なレストランが入居しており、室町通からはガラス越しにレストランの中がよく見えるのだが、11時45分でもほとんど客が入っていない。私は綾小路通りに面した居酒屋のお弁当を買いにいったのだが、ビーチパラソルを広げた路上のワゴンの前には三人ほどの客が並んでいる。今日は400円のお弁当を買ったが、一番高いお弁当で550円である。レストランに入れば900円ぐらいはかかるだろう。コロナの感染リスクを犯して、しかも高い値段を払ってレストランに入る人は少ない。寂しいことであるが、これが今の現実である。